2007年 01月 06日
歴史探訪 倉敷の古刹
今回は 安養寺と連島の寺社(遍照院・箆取神社・宝島寺・厄神社)を訪れてきました
瀬戸内に面し地理的に恵まれ古えから栄えていた地方です
古きを訪ね新しきを知る 身近な足もとに連綿と続く歴史 華やかな歴史と繋がっている一端を歩いて紐解く 面白さを実感しています (聞いたことをすぐ忘れるのが悔しいけれど・・・)
安養寺
782年朝原山寺として開創された仏教寺院
主な宝物(重文)
兜抜(とばつ)毘沙門天王立像
吉祥天女立像
遍照院
寛和元年(985)智空上人により開祖
末寺31か寺 隆盛を極めたが戦国期 数度の火災で焼失した
本堂は改修中でした
「三重塔」 重文
応永23年(1416)建立
厄神社
清和天皇(869)の御世 備後国鞆之津「薬神宮」に始まり 連島の発展につれで遷宮を繰り返し「厄神宮」と称して連島の総氏神となった
境内には「薄田泣菫の詩碑」と「筆塚」がある
6枚の乱れ屏風の形で 碑の作者(谷口吉郎博士)も有名らしい
宝嶋寺
(ほうとうじ)
理源大師聖宝(832~909)開祖
「客殿」桧皮葺の丹精な姿の屋根が見えます
本堂は横の石段を上がった広い境内に古刹らしい姿でありました
箆取神社(へらとりじんじゃ) 祭神は 大綿津見命・豊玉姫命・玉依姫命
連島西の浦 長い石段を登った山の上にあり 眼下に家並みと瀬戸内の海が美しい
古くから「海若宮」と呼ばれ米豪商や船問屋の寄進が多く潤っていたそうだ
今 屋根の葺き替え中で神社はシートで覆われていたが 神主さん曰く 「氏子や参拝者の寄付に頼るしかなく大変なんです」と
瀬戸内に面し地理的に恵まれ古えから栄えていた地方です
古きを訪ね新しきを知る 身近な足もとに連綿と続く歴史 華やかな歴史と繋がっている一端を歩いて紐解く 面白さを実感しています (聞いたことをすぐ忘れるのが悔しいけれど・・・)
安養寺
782年朝原山寺として開創された仏教寺院
主な宝物(重文)
兜抜(とばつ)毘沙門天王立像
吉祥天女立像
遍照院
寛和元年(985)智空上人により開祖
末寺31か寺 隆盛を極めたが戦国期 数度の火災で焼失した
本堂は改修中でした
「三重塔」 重文
応永23年(1416)建立
厄神社
清和天皇(869)の御世 備後国鞆之津「薬神宮」に始まり 連島の発展につれで遷宮を繰り返し「厄神宮」と称して連島の総氏神となった
境内には「薄田泣菫の詩碑」と「筆塚」がある
6枚の乱れ屏風の形で 碑の作者(谷口吉郎博士)も有名らしい
宝嶋寺
(ほうとうじ)
理源大師聖宝(832~909)開祖
「客殿」桧皮葺の丹精な姿の屋根が見えます
本堂は横の石段を上がった広い境内に古刹らしい姿でありました
箆取神社(へらとりじんじゃ) 祭神は 大綿津見命・豊玉姫命・玉依姫命
連島西の浦 長い石段を登った山の上にあり 眼下に家並みと瀬戸内の海が美しい
古くから「海若宮」と呼ばれ米豪商や船問屋の寄進が多く潤っていたそうだ
今 屋根の葺き替え中で神社はシートで覆われていたが 神主さん曰く 「氏子や参拝者の寄付に頼るしかなく大変なんです」と
by kuma-mitu
| 2007-01-06 22:53
| 歴史探訪.ご朱印
|
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